立ち上がれ中指

中指はそれを立てた時に最も折れやすくなる。

今読みたい本

読みたいとかいいながら今一アマゾンで検索すらしていないのだけど、書店に「情熱のわきどころ」みたいな本があったら僕はパラパラ見たあとかなりの確率で買うと思う。

ちょっと前から他人の情熱が一体どこから来ているのかに凄い興味があって、特に自分の関心のない分野だとなおさらそう感じていたりした。例えば和歌にとても情熱を持って研究しているブルガリア人がいたらその理由というか背景を真っ先に聞きにいった(興奮しすぎて結局何を言っているのかよくわからなかったというオチがついたが)。

僕のこの20年程度の人生経験をかんがみるに、一応今のところの結論としては他者に流されないで生きることが情熱の動力源になるのだなあと思う。テレビしかり、ネットしかり。選択させたれた情報じゃなくて、自分の真に内側から出てきたプリンシポーに乗っ取っての行動。いわば情熱の土台作りというか。
とりあえず最近の生活ではそういうところに気を使ってみたりしている。


そういや、しまうまさん、HPみたよー。

不愉快な月曜日

最近ネットにすらつがなくなった僕は果たして僕なのかどうか甚だ難しいところではありますが、しかしネットする時間を削っただけで真人間になれるというのは正直あると思った今週だった。ネットやってる週末は本当ゴミみたいな生活だなあと自分でも思うから、もう週末にネットをするのもやめようかしら。そうするとこのただでさえ更新しないブログも本気で廃墟と化すわけなのだけども。

ただ、こないだ出版する雑誌で僕と一緒に小説を書く方と会う機会があって、なるほどなるほどと色々と刺激を受けたのでこれからも暇だったら書きたい。本当は毎日書きたい。これは嘘。


さて、

週の始まりから月の光に当てられた僕は夜にそのままどうかして一日という一生を終えそうだ。

その人生の最後に僕は微笑みの仕方も頬に刻みつけ忘れたまま火葬されていく。

燃やされていく僕の体は適当なところで水をかけられて鎮火され、さめざめと冷え切った体はしかし燃やされたが故に脂がはじけとび、びゅうびゅうと吹き荒れる風が体を切るような寒さ。

そのような哀れな死体を眺めていることも忍びなかったので、親切丁寧極まりない誰かが「せめて」と大きくて偉大な木の下に僕の体を埋めた。

その埋められた僕の体に金色の墓標を突き立ててオブジェの完成。完成度は百点満点中何点なのか癲癇中の僕にはわからないのが難点。いずれにせよ天に召されるのをただ待つばかり。

と思ったのも束の間、先ほど僕を丁寧に埋めてくれた親切丁寧極まりない誰かはその土の中から僕を引きずりだそうとしてくる。懸命に踏ん張ろうとするのも空しく僕の体は地上にさらされる。一日はいつの間にか終わり空には太陽が現れていた。

僕の恥ずかしい体は果たして白昼の下にさらされる。先ほど月が見えていたと思ったらもう太陽とは。しかしこれにはカラクリがあったのだ。なぜなら太陽の次に現れるのが月なのだから。

何故そう急いでしまうのか。せめてもう少し間を空けて登場することは出来ないのだろうか。月が出てからはとても長いというのに、日の照る時間はあまりに短い惨めな世界の日々が息苦しい。

こうして太陽に殺菌された僕はすがすがしい気持ちで月に怯え、そして眠くなってきた頃再び火葬されていくのであった。

ギヴァーとテイカー

よく小説でもマンガでも映画でもなんでも、平凡な主人公の下に突然変な力が湧いてきたりだとか、誰かと運命的な出会いをするということがある。(まあ平凡に見える主人公が実はものすごい人というのもよくある話だが)

僕は別にそれらを否定する気はまったくないけれども、現実レベルで考えたときそれってちょっとバランス悪くね?っていう気がする。自分にとって大きな変化をもたらしてくれるものがある日都合よくやってくるというその構図。特に少女漫画か何かで顕著な気がするんだけど、まあそこら辺は偏見かな。ちなみに少年漫画の場合、基本的に主人公は実は凄いやつということがよく判明するので今一この論には適していない。

僕は受け取る前にまず自分が与えるものを持つべきものだと勝手に考えている。テイカーである前にギヴァーであれ。そういう準備をしているからこそ周りから力はやってくるし、あれだ、チャンスは準備された心の下に降り立つっていうやつだ。

漫画だとか小説それらの媒体が、青少年ないしは青年にどこまで影響を及ぼしているのかはわからないけれども、そしてそれらには願望充足的な意味がとてもあることはわかってはいるけど、でもそういう主人公側に「準備された心」がある、与える側の人間である、っていう描写を含んだものがもっとあってもいいんじゃないかと思う。ないしは、もっとそれを押し出してしまっていいのではないかと。どうしても突然誰かが何かを変えてくれるっていう思考はいい結果を生み出さないことが多いから。

退屈退屈ってわめいて何もしない人にも同じことが言えると思う。自分が何かを掘り出していない、与えるものが何もないから周りも何も与えてくれないのであって、まず退屈と思ったら自分が何を与えられるかを考えるのがいいと思う。

とこんな風に偉そうに書いている僕だって、他人に何をあげることが出来るかわかったもんじゃない。もしかしたら真に「大人になる」ということは他人に何かをあげられる存在になるということなのかもしれない。そして何かをあげたのだとしても、自分が小さくならないような大きさを持つ人間。だとしたら僕はまだ大人にはほど遠い存在であるように思う。




コモンセンス

それって常識だよ!を多様しない奴が一番の常識人だと思う。

僕の周りにはこういう人は幸運なことにあまりいないけれども、やっぱり人生だからたまには会ってしまうわけで、そういうときってなんとも言えない気分になるよね。と俯瞰視しようと試みたのはいいけど、でも僕にもそういう人間になってしまう可能性があるわけだし、それって凄い恐ろしいことだ。

開示欲求に従った

あとこないだのサイトは一週間しないと新しい小説を乗っけては駄目駄目!な感じなので新たに違うサイトに乗っけて見ることにしたよ。

「小説家になろう」 http://syosetu.com/

こちらは切磋琢磨のためというよりも開示が目的という感じだからあんまり意見の交換とかは出来ないかな?しかも一日に掲載される数が半端ないから速攻で流れちゃいそう。まあ一応ということで。

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脱コットン

脱コットン

 あまりにも無目的に生きる自分自身に軽い絶望を感じ、そんならいっそ何か書き始めたほうが生活回転が良くなるんじゃないかと思いつけ始めたブログです。
 よって人様に見せるものでもなんでもない公開オナニーになっていることこの上ないと思われますが、万が一うっかりこのサイトを覗いてしまった場合は、その辺何も触れずに放置していただけるとありがたいです。好きな食べ物はプリンです。

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