立ち上がれ中指

中指はそれを立てた時に最も折れやすくなる。

x,y,z上の屹立

こないだなんとなく挙げたエントリーに僕小説書くよー(AA省略)みたいな正直僕以外にとってはどうでもいいというしかないことを書いてしまったんだけどしかも小説の書き出しとかいう心底どうでもいいものを4つくらいつけてしまったんだけど、あれから僕に「まず敵と己を知らなければならない」だとかの声が聞こえてきたのでまず今は新人賞の傾向とか良い文章悪い文章はどうやって書かかれるかについて本を適当に読み込んでいたりするよ。僕の今までの経験上こうやって形から入って結局何もせずに終わるということは結構頻繁にあったことだし、小説に限らずなんでもそうだけどそういうhow toものは絶対読まない意味ないむしろ害悪っていう人がいるっていうことも知っているけど、結論としてやっぱり最初にこういうプロセスを踏むか踏まないかでその後の自分に結構な影響が出てくるのだなーて感じた。

how to系を読んで得ることの中で、自分の思考だとか技術の立ち位置がわかるってことがでかいと思う。どうしても自分のやり方にこだわると近視になりやすいし、自分のやり方だとかを特別だと思ってしまって批判的に見る機会が失われやすくてそれは凄い損失につながりやすい。やっぱり物事を理解する時に全体の中で自分がどの座標軸にいるのかを知ることは凄い大事なことで、しかもそのことは自分のスタイルを改めることを意味しない。ただ自分の位置を知るっていうことだけでも相当の収穫になるんだと思う。とりあえずもっと色々な本を読んで自分なりに内容がまとまってきたら読書感想文ついでにここに記事として挙げてみたいと思うから、皆もとりあえずもっともっと文章書いていってライブアンドピースな感じでもう早速塾に行かなくちゃいけない時間でうんざりした。まだ俺が起きてから30分経ってねーのに現実は限りなく非情なものである。

人生はサプライズィングリー

今新しいパソコンの方のブラウザで自分のサイトを見ていてとんでもないことを発見してしまったんだが、なんとこのサイトの文章がoperaに対応していない。うぇーい!しかも友達によるとスレイプさんでも駄目らしい。うぇーい…っていうかdtiblogしっかりしてくれよ…

症状としては文字の塊と文字の塊の間に開けておいた空白が、オペラさんとかスレイプさんだと無視されて文字がだだだだだだだだだ羅列された状態で見えてしまうというもの。パソコンを長年やっているわりにはシステム的なことにはまったく詳しくない僕なので正直お手上げである。誰かこれの解決法を知っている人がいたらまじヘルプミーっていうか助けてくださいお願いします。あともしこのブログをたまたま見ちゃった人でIE以外で見ている人がいたら、このブラウザでこのブログがだだだだだだだだだだだの文字列になっているかちゃんとある程度ごとに文章が区切られているのか教えていただけるとありがたいです。いやーびっくらこいた。

なんだこれ

僕は昨年まで大学に近いということからおばの家に住んでいて最近はまったく戻っていなかったのであっちに残しておいたパソコンのことなんてほとんど忘れていたが、昨日うちの両親が忙しい時間の合間を縫って僕の代わりにパソコンをおばの家から我が家まで運んでくれたので僕はようやく自室でもパソコンができるまでの環境を確保してしまった。これは恐るべき事態である。一年中自室で自由にパソコンが使えるようになってしまった人間は、文明の進化とはちょうど反比例を描く形で驚くべきスピードで退化する。その過程でおそらく大事な何かをことごとく落としてしまい、後で所得物としてどこかに預けられていないかななんて申し訳程度に探したところでそれは見つからないのである。何を隠そう僕もそんなくず人間の中の一人でかつてあったわけで、きっとそのせいで僕の平均睡眠時間がそのストイックさを競うようにギリギリの3時間に保たれてしまったに違いない。教訓というか自戒として繰り返しておくが、ストイックさというものはこういうときに発揮されるべきものではなく、もっと別の何かの時に発揮するべきものであって、使いどころを間違えた中学時代には身長がぜんぜんのびねーよどうすんべということ以外にも様々な成長要因の芽を抜き取ることになってしまったのだからストイックさも使用法注意の代物なのである。まあ正直パソコンのやりすぎで睡眠不足なんてストイックでもなんでもないんだけどね。さすがに僕だってそれくらいのことは知ってるよ。

んで久々に前使ってたノートパソコンをぶち壊してしょぼくれている俺に見かねた親が差し出してくれたこのパソコンには俺が前自分が思ったこととか、ネットで見つけたおもしろいフレーズだとかをメモしておいたメモ帳があったのだけど、その中に自分でも意味不明なものが混じっていたので紹介しときたいと思う。多分俺が書いたんだけど思うんだけど全然そんな気がしない。

私は今日本に住んでいて三年目になるが、いまだにこんなことに出会ったことはなかった
詳しく言うと俺はそもそもどうにかなってしまいそうで生き物というものすべてすべtえが怖い
日本中に逃げられるとしたならどこへ逃げるのが一番いいのだろうかとよく考える
この問いの執着地点はないその場所はその場その場ですぐに変わってしまうのだ 鬼ごっこだ
鬼ごっこの鬼をつねに彼が担当し僕が追いかける側になる 違う 僕が鬼のほうなのは疑いのないことととなのか
だだだ 日本中で誰かがあくびをしたときにだけ発生する効果音 響き渡る一日中
ただそこにあるだけというのも困りものだ 筆が止まらず自害するよりほかにすることのない奇想天外者
全滅の呪文を唱え腸内細菌撲滅宣言 また夜があけて僕はメールを返していない
ぜんぜんぜんぜんこわくなかったよ 彼はそういいながら花火を見ているふりをしていた
神社の境内で 真っ赤に笑う なんななんだ だだらららら 三百回目


このころの僕は自分探しの旅にでも出かけていたのか、それともただ単に狂ったような文章が書きたかったのだろうか?今ちょっと落ち着いて考えたらなんか書いたときの理由もみえてくるような気がするのだけど、とにかく最初に自分のメモ帳からこれが発見されたときの軽い衝撃を誰かに伝えたくて、とりあえずこんな記事を上げてみた19歳の春なのでした。っていうかもうすぐ僕が二十歳になってしまうことのほうにむしろ強い衝撃を覚えました。これでいいのか日本。(責任転嫁)

ベストセラー小説の書き方 (文庫) ディーン・R. クーンツ (著), 大出 健 (翻訳)




僕は最近になってから急に何かを作りたい欲求に駆られて、どうせなら音楽か小説をやろうと思いはじめた。別に陶芸でもデザインでもいいのかもしれないが、少なくとも僕の場合やっぱり自分自身を一番表現するのに適しているのは言語だと思うし、そういう意味で多くの情報量を一度に載せられる小説と、文字数は短いながらもそのフレーズの1つ1つを丁寧に配信できる音楽が僕の中で候補に残ったのだ。んで実際始めるのにはどっちがいいかなあとか考えているうちに音楽器材購入用にでも使おうと思っていた金があっという間に消息を立ち、まあ今まで大した音楽経験もない人間がそれなりの技術に達するのも結構先な話だろうからとりあえず小説でも書こうということになり本書に手を伸ばした次第である。われながらなめ腐った小説観である。

本書の作者は米ミステリー界の売れっ子ということで、そんじょそこらのハウツー系とまず違うのは作者に説得力があるということ。それから文章が結構おもしろいということも良い。元々僕は小説ってどういう風に皆書いているのか少し知りたいためにこの本の購入に踏み切ったのだが、読んでいくうちに日頃目にするドラマ媒体(小説なりテレビなり)の構造の裏側というものもなんとなく見えてくるし、結論として小説を別に書こうと思う人でなくてもこの本は楽しめるのであるという意見を持った。

この本で取り上げられている内容を軽くまとめると以下のようになる。

?売れるべし
タイトルでベストセラー小説と銘打っていることからもわかるように作家にはまず売れることが求められているというある種あたりまえのことが書いてある。こういう芸術だとか文芸の方面では売れるということは過少評価されるということにつながることも多いのだけれど、売れなければ自分の好きなものを作る金を手に入れることも出来なくなると自身の経験を交えながら語るので説得力がある。そりゃ金銭がないことは悲しくて辛いことだ。愛より金だとかいう理論は結構な確率でまかり通ることだけれども、実際あるに越したことはないし例え持ちすぎてそれを不幸に感じてしまう事があるのだとしても、結局は使い方次第でどうにでもなるわけで、金がない場合選択肢を発見することもままならないのだからそれはある種の甘えと取ることも出来る。金銭のなさは望まない仕事を行うことにつながり、一体この世に何人ほどのライターが望まない形で安っぽいドラマだとかブームに乗っかっただけの粗悪なドラマだとか欲望を発散させることにしか興味のないエロ番組を制作してしまったのだろうか?

無論売れるためにはそれ相応の覚悟が必要だしスランプも次から次へと求婚してくるしちゃんと読んでもらえるようにプロットも考えなければならない。しかしまず読まれることなくして人が良い作品/悪い作品を評価することはないわけで、まず評価して欲しいのなら売れることから始まらなければならないといっても過言ではないのだろうというお話。やはり真の売れっ子小説家になるためにはある種の職人気質を手に入れることが求められていて、そのためには時代の匂いをかぎ分けたり誰も見知らぬ密林の草を掻き分けたり色々なジャンルから手に入れた情報をかき混ぜたりしたりする必要があるのだろう。

?定石を知れ
この本ではある程度売れる小説に求められているプロットが書かれていて、それは主人公は完璧であってはいけないが優秀な人物が好ましいだとかハッピーエンドが良いとか軽くウィットに富んでいるとか最大の危機を作り出し乗り越えねばならないとか色々書いてあるのだけど、ここらへんは時代だとか分野だとかによって変わりうるものだと思うので軽く流す程度に読んだ僕である。物語の視点の話にも触れているのだけどこれは結構興味深くて、僕は最近舞城とか一人称視点のものばっかり読んでいたので感覚が麻痺していたけれど、小説の中では何人もの視点を重ねることで物語の厚みを増させるっていうテクニックもそういえばあるよなあとか結構参考になるなあと思ったりした。その他、主人公には葛藤が存在しなければならず、外的な要因を得てそれが表面化しそれと対峙するように仕向けていかなければならないっていうのは王道でよく見ることだけど、文字化してまとめるとなるほどという内容だった。

?技術を磨け
あたりまえっちゃああたりまえの話なんだけど、本書でも文章の技術を高めたり落としたりしなければ小説家は読書を続けなければならないと論じられている。頭の中身がいい感じにシンプルな僕はこの文言を目の中に取り入れた直後すぐに図書館に向かって何冊もの小説を借りに行く事になったのだけども(この言葉は嘘。何かに影響されてそこまですぐ動ける人間は僕以外の何かであって、僕にそれほどのバイタリティがあるわけがないのである)、確かに久しぶりに小説を読んでみればなかなか魂に来る震えがあったり文章参考になるなあとか思って脳が活性化されてきた気がしたのでおそらくこの言葉は真実であることに疑いはない。ただ僕の場合小説っていうのはそれ以外の評論だとか科学書だとかよりも全然読むのに時間がかかるもので、一冊一冊の目標を突破するのに時間がかかり若干のフラストレーションを生みやすいのも事実だし自分にあまりいっぱいの小説を読むようプレッシャーを与えすぎないでいこうと思う。

ちなみに最近の僕は舞城の色々な作品を久しぶりに読み倒したあと、舞城スキーの中の一部で評判の高い阿部和重に手を出したりとか阿部公房に原点回帰をしてみるとか今更スティーブンキングを読もうとしているとか彼女の持っていた東野圭吾の本を読んでみるとかとりあえず好き勝手気の向くままに読書をしていてこれはこれだけで結構幸せなことだなあとつくづく思う。小説は読むだけでも素晴らしいのに書くことにもワクワクを感じてしまう。これは音楽も同じことだと思うけども、そういう双方向性があるのが芸術の素晴らしいところだ。例えその現実がカカオ99%みたいに甘くないものであってもっていうかあのチョコレートは確実に僕らに対するいやがらせ的な味しかしなかったことを今軽く思い出した。


とりあえず今考えている小説の書き出し。

「確か世間に大量に出尽くしている「私もう癌で死ぬんだ…」的な小説だとか映画だとかにうんざりして、というかそれを見てキャーキャー騒いでいるビッチどもにうんざりして俺は医者を目指しだした。」

「人間はその思いによってどこまでも進化するけど、その人自身が進化するとは限らない。人間は60億人以上いるから私以外の誰か、つまり私の代替品がその思いをかなえてしまう。人間以外の動物だってそうだ。私たちはなんてことはなく結局のところ集合体になって初めて1つの種という生き物なのであり、ある細胞が夢をかなえなくても、他の細胞がその願いを叶えることが出来ればそれで充分なのである。ならば私が成すべきことは人間という枠からはみ出ることであり、完全無二の存在になることによって私は私の願いのどこまでもを叶えるということにつきよう。それは果たして戯言だろうか?」

「僕の人生はラブアンドピースっていうよりセックスアンドピースっていうかむしろセックスアンドファックっていう感じで、つまり盛りのついたオス猿もしくはオス兎みたいに永遠とファックをかましていたことで大体の説明がついてしまう。」

「坂道をごろごろすってんころりんすることで僕は頭を強くうち、よくよく考えてみればそれが僕の天才性の母親になった。」


この本とかその他のそういう本で書かれているように、大したプロットを作らず見切り発車してしまうというのは最悪の行為だということは僕も知っているしつまりプロットを作らなければならないのだが、あんまりそれで根詰めてしまっても先に進めない気がするのでとりあえずある程度決まったら書き始めてしまいたいと思う。出来たら適当にブログに乗っけたりどっかに貼り付けたりしようと思うので、超絶暇人な良い子のみんなはみてねー!あ、そういえば前回の記事で僕は逆子で生まれていたことになっていたんだけど、よくよく考えてみれば僕は全然逆子じゃなくてただへその緒がきちんと首に巻き付いていただけなのでしたー!くぴー!

あなたが悪魔でわたしが神様

僕は英語講師として某個別塾で働いているのだが、先日「さーて授業だはりきってやるぞー☆」とかいきまいていたらいきなり生徒が俺の授業からエスケープしてくれて、結果2時間分フリーになった俺はしょうがないから塾長命令で雑務を手伝わされていた。その時塾長が作業をしている俺に言った言葉なんだけど、曰く「おまえって本当に不器用だよな」と。

僕の不器用レベルの高さははるか昔小学生ないしは幼稚園生の時点から言われていたのでいまさら言われたところでどうということはない。ただ最近手先の器用さを問われるようなことをあまりやっていなかったので、そういえば俺って手先が不器用なんだなあと思い出し、ついでに昔はその原因を必死に突き止めようと必死こいて色々な資料と照らし合わせて自分自身の合理化を量ろうとしていたよなあということを思い出した。んで当時の結論から言えば、僕の不器用さは勿論小さい頃からの練習不足というものが前提にはなっているのだけど、もう1つ根本的なものに僕が左利きだということがあるんじゃないかということ。元々ほとんどのものは右利きの人がやるように作られているし、左利きの僕にはそれに合わせるのが大変で結果不器用になるんじゃないかと思ったのだ。その時の僕の予想では左利きが昔「ギッチョ」(不器用の意)と呼ばれていたのもそういうことが背景にあるのではないかとも思った。

元々自分のルーツというか性質について興味深深だった自分大好き人間である僕は、それを機に左利きというものを調べまくったのだが、考えてみれば左利きに関する本で、左利きって結局なんなのっていうことを説明している本がメジャーなものではあまりない。たまに左利きの私のトホホな生活とかそういう感じの日常を簡単にスケッチしてみましたテヘ♪的なものを見たりするけどせいぜいその程度で、詳しくその成り立ちだとか性質だとかを調べるためには自分で図書館に行くだとかネットを駆使するだとか積極的に情報を仕入れようとしなければならず、それは今の状況でも変わっていない。そういう大事なことが少なくとも日本人の基礎知識として落ちているってことに当時の僕は軽く衝撃を受けていたけどまあそれはいい。

調べ始めてすぐ疑問にぶち当たる。それは僕が果たして本当に左利きなのだとうかということだ。なぜならある軽めの左利きの人のために組まれた本では左利きの要素として文字が左手で書けるということが記載されていたからである。まあこれって結構あたりまえって言うか普通皆が人のことを左利きと見なすときは大抵ペンを使っている作業の時に発生すると思うんだけど、僕は不幸なことにペンは右で行う人間だったのである。母に言わせれば小さい頃左手を使って書こうとしていたのだが、絵を書く際に親に言われ右に転向したというそれなりによくある話だ。このときばかりは若干母親を恨んだ。で、ここで結構僕は悩んでしまって、確かに僕は左利きというものに自分のアイデンティティー(誤用)を軽く感じてしまっているのだけど、実際その左利き世界の中では僕は結構つまはじき的な存在なのではないか?んなら俺が左利きに拘泥する理由は単純に人間間との衝突(主に親との)を生むだけで全然実益はないんじゃないの?そもそも左利きと不器用さとの関連性は?

ここらへんまで思考を展開したところで、僕はいくつかの衝撃的な本と出会う。1つ目は「左利きは危険がいっぱい」という本で、この本の中では左利きには2種類いると論じられていた。1つは遺伝的な左利きで、この人たちの場合右利き社会に慣れるのに戸惑うということ以外は特に右利きの人と性質的な違いはない。もう1つが僕にとっては重要で、それは左利きの人の中には元々右利きとして生まれるはずだったのに、出生時の障害で脳が圧迫され、その結果紆余曲折を得て左利きっぽくなってしまう人だ。こちらのタイプの場合は脳に本来備わっているべき能力が欠けているので、不器用だったり左右の区別がつき辛かったりあんまりよくない運動神経を備えている場合が多いらしいとのことだったが、僕自身生まれるときは逆子で結構大変だったということだし、もう前述しまくったように不器用だしついでに運動神経もあんまりよくないのでまさにこれじゃん!ってその時は自分のルーツを発見した気がして1人ではしゃいでいたことを覚えている。

よく考えたらその本は全然そういうタイプの左利きについて褒めていないっていうかむしろ可哀相だよなおまえら(´・ω・`)っていう感じで同情していた気がするのだけど、僕にとってそれは問題じゃなくてまず第一に自分の能力の所以がわかったわけだし、それに僕の仮説では出生時脳に障害を受けたことが創造力になんならかの影響を与えるはずで、世界で左利きが独創的と言われるのはこの脳の違いによって起きるものだということになっていたので、むしろ左利きの中にスポーツ得意だけど芸術は別に…みたいな世間の左利き像とはまったく違う左利きがいる理由も解明してくれて率直にハッピーハッピーらんらんらんだった。

ただこの左利きの一部は脳障害から起きるっていう説はいろいろな意味であまり支持されていなくて、「「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎」という本ではあれは誤りであるとばっさり切り捨てられている。ついでに左利きに芸術家が多いっていうのも切り捨てられていて僕は悲しい。んじゃあ結局なんなのーという話になるんだが、この本では明確な結論が述べられていなくて色々な方面の方々に話を聞きながらそれをレポるという感じになっていてまどろっこしくて、すなわち左利きに関する研究はやはりそれほど進んだものではないのだ。こんなに身近に存在するのになんだよそれって気もするが、大体の物事はそういうものなのかもしれない。勿論この本の中で僕がこれはそうかもなーと思った説もあって、それは人間は強い片手利きとそうでない人間で構成されているというお話。強い右利きと強い左利きはちゃんと片方の腕を主として使うようにインプットされているのだが、そうでない人は右利き左利きどっちつかずの曖昧人間になってしまって、故に不器用だとかそういうことが発生しうるらしい。

正直これらの本はかなり前に読んだので僕が今日書いている内容が果たして合っているのか軽く疑わしいんだけど、要するに左利きに関する調査は難しいなということ。僕にもう少しやる気と能力があれば大学院以降左利きの研究を進めるっていうのも悪くない気がするのだけど研究者になるためには僕は圧倒的に理系の知識が足りていなくて、今のところ研究出来そうな範囲が文系科目の中のとっても狭そうな範囲だけっぽい気がして僕は涙目だ。今まで勉強から逃げていたつけはいつか払うことになるとか超めんどいわーとか思いつつ、とりあえず今日もいつもどおり教習所に通ってブーブーに乗って塾行って適当に英語とか教えてきたりしたいと思う。また僕が己の不器用さを発揮しないためにも今日はちゃんと生徒が来て欲しいと今のうちに念じておかなければならない。

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 あまりにも無目的に生きる自分自身に軽い絶望を感じ、そんならいっそ何か書き始めたほうが生活回転が良くなるんじゃないかと思いつけ始めたブログです。
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