ギヴァーとテイカー
よく小説でもマンガでも映画でもなんでも、平凡な主人公の下に突然変な力が湧いてきたりだとか、誰かと運命的な出会いをするということがある。(まあ平凡に見える主人公が実はものすごい人というのもよくある話だが)
僕は別にそれらを否定する気はまったくないけれども、現実レベルで考えたときそれってちょっとバランス悪くね?っていう気がする。自分にとって大きな変化をもたらしてくれるものがある日都合よくやってくるというその構図。特に少女漫画か何かで顕著な気がするんだけど、まあそこら辺は偏見かな。ちなみに少年漫画の場合、基本的に主人公は実は凄いやつということがよく判明するので今一この論には適していない。
僕は受け取る前にまず自分が与えるものを持つべきものだと勝手に考えている。テイカーである前にギヴァーであれ。そういう準備をしているからこそ周りから力はやってくるし、あれだ、チャンスは準備された心の下に降り立つっていうやつだ。
漫画だとか小説それらの媒体が、青少年ないしは青年にどこまで影響を及ぼしているのかはわからないけれども、そしてそれらには願望充足的な意味がとてもあることはわかってはいるけど、でもそういう主人公側に「準備された心」がある、与える側の人間である、っていう描写を含んだものがもっとあってもいいんじゃないかと思う。ないしは、もっとそれを押し出してしまっていいのではないかと。どうしても突然誰かが何かを変えてくれるっていう思考はいい結果を生み出さないことが多いから。
退屈退屈ってわめいて何もしない人にも同じことが言えると思う。自分が何かを掘り出していない、与えるものが何もないから周りも何も与えてくれないのであって、まず退屈と思ったら自分が何を与えられるかを考えるのがいいと思う。
とこんな風に偉そうに書いている僕だって、他人に何をあげることが出来るかわかったもんじゃない。もしかしたら真に「大人になる」ということは他人に何かをあげられる存在になるということなのかもしれない。そして何かをあげたのだとしても、自分が小さくならないような大きさを持つ人間。だとしたら僕はまだ大人にはほど遠い存在であるように思う。
僕は別にそれらを否定する気はまったくないけれども、現実レベルで考えたときそれってちょっとバランス悪くね?っていう気がする。自分にとって大きな変化をもたらしてくれるものがある日都合よくやってくるというその構図。特に少女漫画か何かで顕著な気がするんだけど、まあそこら辺は偏見かな。ちなみに少年漫画の場合、基本的に主人公は実は凄いやつということがよく判明するので今一この論には適していない。
僕は受け取る前にまず自分が与えるものを持つべきものだと勝手に考えている。テイカーである前にギヴァーであれ。そういう準備をしているからこそ周りから力はやってくるし、あれだ、チャンスは準備された心の下に降り立つっていうやつだ。
漫画だとか小説それらの媒体が、青少年ないしは青年にどこまで影響を及ぼしているのかはわからないけれども、そしてそれらには願望充足的な意味がとてもあることはわかってはいるけど、でもそういう主人公側に「準備された心」がある、与える側の人間である、っていう描写を含んだものがもっとあってもいいんじゃないかと思う。ないしは、もっとそれを押し出してしまっていいのではないかと。どうしても突然誰かが何かを変えてくれるっていう思考はいい結果を生み出さないことが多いから。
退屈退屈ってわめいて何もしない人にも同じことが言えると思う。自分が何かを掘り出していない、与えるものが何もないから周りも何も与えてくれないのであって、まず退屈と思ったら自分が何を与えられるかを考えるのがいいと思う。
とこんな風に偉そうに書いている僕だって、他人に何をあげることが出来るかわかったもんじゃない。もしかしたら真に「大人になる」ということは他人に何かをあげられる存在になるということなのかもしれない。そして何かをあげたのだとしても、自分が小さくならないような大きさを持つ人間。だとしたら僕はまだ大人にはほど遠い存在であるように思う。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://zigzagzigzag.dtiblog.com/tb.php/105-4e89029b


