ヘビとウンコ
もう限界です。私の頭の中に刻まれた記憶が表面張力を突破したかの如くあふれ出してきて、おそらく体全体が飲み込まれるのもそう遠い先の話ではないでしょう。あたかもヘビに丸呑みされるが如く。
私は一介のしがないサラリーマンです。しかし私は人には言えない秘密を抱えていて、それは私の腹の中には大きなヘビが救っているということなのです。なんという悲劇なのでしょうか。通常私たち人類の中でヘビを孕むなどといった暴挙に出る人間はあまりいません。ヘビは確か爬虫類だったと記憶しておりますが、人間は紛れもない哺乳類なのですからこれは大変奇妙なお話です。ましてや私は性別的には男に区分されるわけですから、これはどう考えてもおかしなわけでして、にも関わらず私はそのおかげで毎晩毎晩おなかを痛めている次第です。
私はしがないサラリーマンですから、腹に痛みを抱えているからといって度重なる欠勤が許されるはずもありません。強制的に仕事中毒にするためにそれ用の薬でも配布しているのではないかと疑いたくなるような日本の風土ではなおさらのことです。家を出て、今日もてくてくてくてくと駅に向かって歩いて行きます。しかし歩いていていつも感じますが、周辺の環境というのがこれまた悪い。私の中のヘビの機嫌が悪いのも最近このせいなのではないかと感じています。なにせ私の家は辺り一面工業地帯に支配されており、私の中身を真っ黒にしてしまおうと画策しているのですから!今は私もなんとか耐えることが出来てはいますがそれはかろうじてな訳でして、花粉に対する許容量が人間決まっているかの如く、いつか私の中の排気ガスの許容量がいつか限界を超えてアレルギーを噴出してしまわないか私は心配でなりません。
私の出勤時間は丁度学生の出勤時間とかぶっているのでこの時間はいかにもダルそうな顔をした学生や、元気に御学友とはしゃぎまわる小学生たちの姿を拝見します。そんな彼らの様子を見ると、昔はよかったなあとあの頃を思わず振り返ってしまいます。思えば昔の私は本当に幸せでした。いつも辛い思いをしながら会社に向かうこともなかったわけですし、なによりまだ例のヘビをまったくもって妊娠していなかったわけでして。いやはや、しかし私はいつの間にこのような大それたものを抱えることになったのでしょうか。30を超えた辺りからだったというのは間違いがないと思うのですが、しかし人間思わぬ時に何かを抱える羽目になるものです。恐ろしいことです。現に今も私の腹の中のヘビは暴れまわっており、私は一歩踏み出すごとにまるで十三階段を上っているが如き気持ちになります。死刑台に近づいていくことを感じながら、しかし私は歩みを止めるわけには行きません。一歩歩くということがこれほどまでに辛いことだというのは、果たして幼少の自分に想像することが出来たでしょうか。それはまさしく不明瞭な問題です。
私が堕胎したときの話をしましょう。堕胎と書くと物騒なものですが、しかしこのヘビと向き合う際に関してはそれほどのものでもありません。というのもこのヘビは幾ら堕胎を繰り返しても平気でまた腹の中に住み着くようなやつで、もはや堕胎は日常茶飯事のことと化しています。ちなみに何故このような話を突然書くかというと、先刻までの私の話を受けて「そんなに辛いのならば腹の中のヘビをおろしたらどうだ?」という疑問を呈する人が必ずいると思ったからです。それはごもっともです。初めは私もそう思い立ち、腹の中のヘビを堕ろすことに余念がありませんでした。勿論腹の中にヘビを飼っているなどと人様に知られてしまっては私は生きてはいけなくなってしまいますから、堕胎は誰も立会人をつけることなく行います。分娩のため私が力を入れると、ヘビはいつもこの世のものとは思えない非常に不愉快な産声を上げてその奇妙な姿を私に見せてくれます。それを見るたびにこのようなものが私の体の中に巣食っていたという事実に打ちのめされ、事実私は今までに何回かそれが原因で意識を失いかけたことがありました。このようなものを見続けるというのもまた一つの拷問であるということが言えるでしょう。とは言えヘビを堕胎した後のしばらくは私の腹の中も落ち着き、一時の平穏が訪れるのですが事態はそれで終わりと言えるほど生易しいものではありません。前述したとおりヘビは何度堕ろしても再び私の中に巣食ってしまい、私の生活から平穏という言葉を遠ざけてしまいます。どうして私はこれほど孕みやすい体質をしているのでしょうか。もしかしたら夜中に大きなヘビがやってきて、私を犯しに来ているのかもしれません。
さて、私がそうこう思索に耽っているうちにいつの間にやら駅が見えて参りました。しかし毎日の通勤時に危ないのはまさにこのような瞬間でして、というのも先ほどまでは思索に耽っていたが故に私はしばしの間妊娠による気分の不調を半ば忘れていたのですが、一度「駅が見えてきたぞ!」という現実を認識してしまうと、たちまち私は現在腹を痛めているという現実も認識してしまう羽目になるのです。現実というのは1つ1つのシーンが分断されているようでいて実は繋がっていますので、このような事態を招いてしまうのでしょうか。
正直なところ、私はあまり現実が好きではありません。実際、現実は懸命に歩こうと試みる私に対し、大きな試練を与えています。それは圧倒的な重さで腹にのしかかり、私のことを影から責め立てているのです。そのたびにヘビが内側から私の腹を蹴る音が聞こえます。実際にはヘビに足はございませんから尻尾ということになるのでしょうか。ともかく、そのあまりの痛みのせいで私はもはや前方へ歩くことが困難になり、階段を前にして立ち止まることを余儀なくされたのでした。
私の頭の中に一つの着想が浮かびます。「このままトイレかどこかに入り、腹の中のヘビを堕ろしてしまおうか、いつもの如く。」しかしそれで一端は水に流したとしても、執念深いヘビは私の腹に住みつこうとするのを止めないでしょう。おそらく私の中に住んでいるものの正体がヘビでなかったら、これほど困惑にひきづられることはなかったに違いありません。ヘビというのはご存知のとおりまことに執念深い生き物として有名ですから、私がいくら逃げても追ってきてしまいます。まるでそれは永遠に続く追走劇のようなもので、古来無限を表すシンボルとしてウロボロスという名のヘビが用いられていたのも納得がいくというものです。
私ははたはた困り果ててしました。私が一切を水に流してしまおうとする限り、このヘビが消えてくれることはないという確信が胸の中には何故かあったからです。であるならば、私はもしかしたら根本的な治療に性を出さなければならないということなのかもしれません。実際のところ、そうしなければならないというのは以前の頃からすっかりわかっておりました。しかし私は何かにつけて先送りにし、目をそむけることでそのことから逃げ続けていました。私は何をすれば良いのでしょうか? 階段の前で直立不動の体勢を取りながら私は考えます。
「ヘビの望むことといえばなんだろう?」この呪いにも似た境遇を打破するためにはなんとか腹の中のヘビに満足してもらい帰ってもらうしかない、そう考えた自分はある一つの疑問にたどり着きます。ヘビはまるで地縛霊のように私の腹の中に住み着いているのだから、私がヘビの望みを叶えてあげればきっと成仏をしてくれるのではないだろうか。私は相変わらず無様に突っ立ったままの体勢ながらも、一つの真理を得たような気がして内心歓喜いたしました。先ほどから私の話を聞かれている方の中には「そんな大げさな……」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は長い間このヘビのことで頭を悩まされていたわけですからそれほど道理の通らない話ではないと思います。そして私はしばらくした後にその答えを見つけ出してしまうことになるのですが、そのことが私をより一層困惑させることになるのです。
私は考えました。まず考えたのは食料のことです。ヘビと言うからには、おそらく好物はカエルやネズミなどといった類のものであろうから、そのようなものを経口摂取すればヘビもずいぶんと満足をして私の腹の中で暴れまわることを止めてくれるのではないだろうか、と。私は今までの生涯にわたって一度もカエルやネズミなどを食べるという文化圏に属した経験はありませんから、そのようなゲテモノを食すのには若干の抵抗がありましたがヘビにおとなしくなってもらうためには仕方がありません。どこからそのようなものを入手すればいいのかについては見当もつきませんでしたが、ネズミやカエルならそこら辺を探せばいつかは見つかるだろうし、ネットなどを活用すれば活きの良いものがすぐさま手に入りそうです。何分食べなれていないものですので衛生面では多少の心配もありますが、しっかり加熱消毒を施せば食べられないということもないでしょう。そう考えていると私の心の中はより一層明るくなり、私は心も体も軽くなったような気がいたしました。であるならば今日それをやるよりも後日食材を取り揃えたほうが良いと考え、私は普段のように会社へ行くため階段に足をかけ始めました。ヘビはカエルを取るのには時間がかかりますし、ネットを使えばおそらく数日はかかってしまうでしょう。会社は行かないとその日のうちにすぐ大変なことになりますから、優先順位を考えると会社に行くことを今日は優先させたほうがいいような気がしたのです。しかし数歩階段に足をかけた際に私はふと疑問に思いました。確かにヘビやカエルを与えてやれば腹の中のヘビは一時的に満足するのかもしれないが、それは結局ヘビを肥えさせるだけで根本的な解決になっていないのではないか? その考えが頭をよぎった瞬間、私の目の前は再び真っ暗闇に包まれてしまい、軽くなったはずの体も再びその鈍重性を取り戻し私は一歩も動けなくなります。周囲の人が私のことを不審の目で見つめだし、私はなんだか恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまいました。
私は新たな解決策を考えなければなりません。私が次に考えたのは別の視点からのアプローチであり、それは私に毎夜夜這いを仕掛けてくる親ヘビと話し合い、私を襲うのを止めてもらうということでした。考えてみれば子供というのは両方の親がいなければ基本的には生まれてこないわけですから、片方の親、すなわち親ヘビ側が諦めてしまえば私はもう二度とこの腹の中のヘビに苦しまされることもなくなるのではないかと考えたのです。これは一つめのアイディアよりも優れているように感じられました。生命の弱点ともいえる点を果敢につき、遂に私は勝利を手にするのです。そしてこのアイディアを施行する場合、私が今現在このヘビを堕胎してはならない理由は何一つないように感じられました。この場合戦いは親ヘビが私を襲いに来る夜になるわけですから、早朝の今現在私が出来ることはほとんどありません。あるとしたら今すぐトイレに駆け込み、腹の中の一切をなくし夜の戦いに備えるだけです。足取りが再び軽くなった私は階段での屹立を止め、一歩一歩着実に上に向かって歩き出しました。そして何事もなかったかのように階段を上り終わり、他の人と同じように改札の中へ吸い込まれていきます。さあ、もう少しでトイレが見えてきました。はやる気持ちも抑え駆け込みます。幸いトイレの個室は空いており、隣の個室にも人は誰もいないようでした。私はこのことに心底安堵しました。堕胎におけるヘビの悲鳴というのはそれはそれは醜いものですから、なるべく人様に聞かれないようにしなければなりません。もし聞かれてしまった場合、私はヘビとは言え自らの子を己の苦しみを和らげるために捨てるような人間であると判断されてしまいかねません。それは出来れば避けたいところであります。腰をすえて心を落ち着かせます。もはや何回何十回何百回と繰り返している作業です。確かに堕胎に付きまとう罪悪感のようなものはありますがもはや慣れてしまいましたし、大切なのは親ヘビとの話し合いなのです。この今身ごもっているヘビはひとまず関係がない……ああ、やはり駄目です。私はまたしても辛い現実を避けるため新たなエクスキューズを考えだしてしまっていました。私はヘビの望むことはなんだろうといいながら、私が身ごもったヘビ自身の望みを叶えることからは逃げ出していたのです。なんたる悲劇なのでしょうか。私の中のヘビはもはや出てくる寸前であり、後は水に流すだけで一切の証拠を消し去ることが出来ましたが(日本というのは良く出来ている国です)、私は真に腹に身ごもったヘビという命と向き合わなくてはなりません。すなわち、彼の存在を認める必要があるのです。
それに気付いたとき、私の心は激しく揺さぶられました。彼の存在を認めるということは彼の存在を自分以外の誰かに知らせなくてはならないということを意味します。ご存知のように、誕生には他者の祝福が必要です。であるならば私の今までとっていた行動は腹の中のヘビを怒らせど、決して喜ばせはしないものだったのでしょう。今まで私はこのヘビの命を自分ひとりで絶ってきました。その時ですら、私はなるべく目を背けすぐさま水葬の儀を執り行っていたのですからもはや救いようがない愚か者だったのかもしれません。実際にはそうすればするほどヘビは意固地になって私の腹の中に巣食っていたのですから。私はとにかくトイレを後にすることにしました。プラットホームへの階段を下りる頃には「これでいいのだろうか……」という気持ちを持つ反面、このヘビを祝福してもらわなければならないという気持ちが強くなっていったことを覚えています。
それを実行するには相当な勇気が必要でした。もともと腹の中のヘビは私の中では忌み子的な存在でしたから、それを人様に見せるとはもってのほかのことだったのです。しかしそれしか道がないのであれば私はそれを施行しなければなりません。私が公衆の面前で産み落としたとしても恐らく彼を祝福してくれる人は一人もいないでしょう。産みの親である私ですら祝福の気持ちなど一切ないのですから自分でも妥当な判断だと思います。しかしもし腹の中のヘビが「誰かに認知をされたい」と願うのであれば、産みの親として私は彼をこの世に誕生させてあげたいと思います。きっと腹の中に溜まったものは一度産み落として誰かに認知されなければならないのです。自分ひとりで誰にも知られることなく処理をしてしまっているだけではヘビの恨みを買うだけで、狡猾なウロボロスは自らの尾を噛みしめ、いそいそと無限のループを作りだしてしまうでしょう。
私はホームに降り立ちました。電車は行ってしまったばかりでしたが、朝の通勤時間帯では待つ時間などたかがしれています。その数分の間を私はヘビに対する祈りに捧げることにしました。もはや不思議なほど私の腹の中に溜まっていた痛みは取れてしまい、今はただただ心地よい緊張だけが頭の中を駆け巡っています。思えば随分遠回りしてきましたが、今日でそれも終わります。腹の中のヘビは私のれっきとした子供であり、私の一部でした。それを認めないということは自分自身で私を否定するということであり、だからこそ私は現実世界の中で欠損した人間だったのかもしれません。いや、もう止めましょう。今更わかりきったような台詞を吐くことにもはや価値などはないのです。そうこうしているうちに電車が来ました。私は大勢の人とともに電車に乗り込みます。
途中で立ち止まったりトイレに寄ったりしたおかげで今日は数本遅い電車に乗ることになり、そのせいか人がいつもよりもたくさんいました。駅員がやっとの思いで人を詰め込み、電車がようやく前進します。がたんごとん、がたんごとん。電車は腹の中にたくさんの人を詰め込んで、吐き出して、また食べてを繰り返しています。その消化液でどろどろになった私たちはべとついた体をなびかせながら、毎日ひいひいと目的地へ向かっていくのです。私は電車の中でそのようなことを思い一人呆然と押しつぶされていました。自分が予想していたよりもはるかに私は落ち着いていて、そのまま乳飲み子のように寝てしまいそうになるくらいです。さあ、出産の時が来ました。私の中のヘビが泣き声を漏らします。まだ体は出てきていないというのに声だけが出てくるだなんて、よほど外の世界に出てきたかったに違いありません。その音に反応して辺りにいた人々が一斉に私の方をじろじろと凝視してきました。その中の何人かは、あからさまに私と距離をとろうともがいています。特にそのような行動を取る人は女性が多いように見受けられましたが、なるほど性別は違えども同じ出産という行動を宿命として生まれ落ちてきた方々には、私の産み落とす子供が忌み子であるという事は即座に見抜いてしまうのでしょう。辺りにいた男性は一瞬何事かとこちらを見ましたが、その後は何事もないように嘯いて各々思索に耽っていました。私はといえば車内に響き渡る我が子の声を聞き、抱いていた予感が確信に変わったのを確認するばかりです。そうしてようやく私は下半身の衣類を脱ぎ、腹に力を入れ、我が子の産声を遠くなる意識の中ずっと聞き続けていたのでした。
全てが終わった後、そこに横たわっていたのは紛れもなく私の体の中にいたあのヘビです。それは今までとは違い、グロテスクに欠損した形ではなく、完璧な形を保っていました。まるでその姿は「僕を生んでくれてありがとう」とでも言いたいかのようです。私はほとんど忘れかけていた幼い頃の記憶を思い出しました。電車という公的な場で我が忌み子をさらけ出してしまったことにより、私にはもしかしたら新たな不幸が待ち受けているのかもしれませんが、しかしながら私は自分のしたことに誇りを持ちながら今日という日の上に立ち尽くしていたのでした。

私は一介のしがないサラリーマンです。しかし私は人には言えない秘密を抱えていて、それは私の腹の中には大きなヘビが救っているということなのです。なんという悲劇なのでしょうか。通常私たち人類の中でヘビを孕むなどといった暴挙に出る人間はあまりいません。ヘビは確か爬虫類だったと記憶しておりますが、人間は紛れもない哺乳類なのですからこれは大変奇妙なお話です。ましてや私は性別的には男に区分されるわけですから、これはどう考えてもおかしなわけでして、にも関わらず私はそのおかげで毎晩毎晩おなかを痛めている次第です。
私はしがないサラリーマンですから、腹に痛みを抱えているからといって度重なる欠勤が許されるはずもありません。強制的に仕事中毒にするためにそれ用の薬でも配布しているのではないかと疑いたくなるような日本の風土ではなおさらのことです。家を出て、今日もてくてくてくてくと駅に向かって歩いて行きます。しかし歩いていていつも感じますが、周辺の環境というのがこれまた悪い。私の中のヘビの機嫌が悪いのも最近このせいなのではないかと感じています。なにせ私の家は辺り一面工業地帯に支配されており、私の中身を真っ黒にしてしまおうと画策しているのですから!今は私もなんとか耐えることが出来てはいますがそれはかろうじてな訳でして、花粉に対する許容量が人間決まっているかの如く、いつか私の中の排気ガスの許容量がいつか限界を超えてアレルギーを噴出してしまわないか私は心配でなりません。
私の出勤時間は丁度学生の出勤時間とかぶっているのでこの時間はいかにもダルそうな顔をした学生や、元気に御学友とはしゃぎまわる小学生たちの姿を拝見します。そんな彼らの様子を見ると、昔はよかったなあとあの頃を思わず振り返ってしまいます。思えば昔の私は本当に幸せでした。いつも辛い思いをしながら会社に向かうこともなかったわけですし、なによりまだ例のヘビをまったくもって妊娠していなかったわけでして。いやはや、しかし私はいつの間にこのような大それたものを抱えることになったのでしょうか。30を超えた辺りからだったというのは間違いがないと思うのですが、しかし人間思わぬ時に何かを抱える羽目になるものです。恐ろしいことです。現に今も私の腹の中のヘビは暴れまわっており、私は一歩踏み出すごとにまるで十三階段を上っているが如き気持ちになります。死刑台に近づいていくことを感じながら、しかし私は歩みを止めるわけには行きません。一歩歩くということがこれほどまでに辛いことだというのは、果たして幼少の自分に想像することが出来たでしょうか。それはまさしく不明瞭な問題です。
私が堕胎したときの話をしましょう。堕胎と書くと物騒なものですが、しかしこのヘビと向き合う際に関してはそれほどのものでもありません。というのもこのヘビは幾ら堕胎を繰り返しても平気でまた腹の中に住み着くようなやつで、もはや堕胎は日常茶飯事のことと化しています。ちなみに何故このような話を突然書くかというと、先刻までの私の話を受けて「そんなに辛いのならば腹の中のヘビをおろしたらどうだ?」という疑問を呈する人が必ずいると思ったからです。それはごもっともです。初めは私もそう思い立ち、腹の中のヘビを堕ろすことに余念がありませんでした。勿論腹の中にヘビを飼っているなどと人様に知られてしまっては私は生きてはいけなくなってしまいますから、堕胎は誰も立会人をつけることなく行います。分娩のため私が力を入れると、ヘビはいつもこの世のものとは思えない非常に不愉快な産声を上げてその奇妙な姿を私に見せてくれます。それを見るたびにこのようなものが私の体の中に巣食っていたという事実に打ちのめされ、事実私は今までに何回かそれが原因で意識を失いかけたことがありました。このようなものを見続けるというのもまた一つの拷問であるということが言えるでしょう。とは言えヘビを堕胎した後のしばらくは私の腹の中も落ち着き、一時の平穏が訪れるのですが事態はそれで終わりと言えるほど生易しいものではありません。前述したとおりヘビは何度堕ろしても再び私の中に巣食ってしまい、私の生活から平穏という言葉を遠ざけてしまいます。どうして私はこれほど孕みやすい体質をしているのでしょうか。もしかしたら夜中に大きなヘビがやってきて、私を犯しに来ているのかもしれません。
さて、私がそうこう思索に耽っているうちにいつの間にやら駅が見えて参りました。しかし毎日の通勤時に危ないのはまさにこのような瞬間でして、というのも先ほどまでは思索に耽っていたが故に私はしばしの間妊娠による気分の不調を半ば忘れていたのですが、一度「駅が見えてきたぞ!」という現実を認識してしまうと、たちまち私は現在腹を痛めているという現実も認識してしまう羽目になるのです。現実というのは1つ1つのシーンが分断されているようでいて実は繋がっていますので、このような事態を招いてしまうのでしょうか。
正直なところ、私はあまり現実が好きではありません。実際、現実は懸命に歩こうと試みる私に対し、大きな試練を与えています。それは圧倒的な重さで腹にのしかかり、私のことを影から責め立てているのです。そのたびにヘビが内側から私の腹を蹴る音が聞こえます。実際にはヘビに足はございませんから尻尾ということになるのでしょうか。ともかく、そのあまりの痛みのせいで私はもはや前方へ歩くことが困難になり、階段を前にして立ち止まることを余儀なくされたのでした。
私の頭の中に一つの着想が浮かびます。「このままトイレかどこかに入り、腹の中のヘビを堕ろしてしまおうか、いつもの如く。」しかしそれで一端は水に流したとしても、執念深いヘビは私の腹に住みつこうとするのを止めないでしょう。おそらく私の中に住んでいるものの正体がヘビでなかったら、これほど困惑にひきづられることはなかったに違いありません。ヘビというのはご存知のとおりまことに執念深い生き物として有名ですから、私がいくら逃げても追ってきてしまいます。まるでそれは永遠に続く追走劇のようなもので、古来無限を表すシンボルとしてウロボロスという名のヘビが用いられていたのも納得がいくというものです。
私ははたはた困り果ててしました。私が一切を水に流してしまおうとする限り、このヘビが消えてくれることはないという確信が胸の中には何故かあったからです。であるならば、私はもしかしたら根本的な治療に性を出さなければならないということなのかもしれません。実際のところ、そうしなければならないというのは以前の頃からすっかりわかっておりました。しかし私は何かにつけて先送りにし、目をそむけることでそのことから逃げ続けていました。私は何をすれば良いのでしょうか? 階段の前で直立不動の体勢を取りながら私は考えます。
「ヘビの望むことといえばなんだろう?」この呪いにも似た境遇を打破するためにはなんとか腹の中のヘビに満足してもらい帰ってもらうしかない、そう考えた自分はある一つの疑問にたどり着きます。ヘビはまるで地縛霊のように私の腹の中に住み着いているのだから、私がヘビの望みを叶えてあげればきっと成仏をしてくれるのではないだろうか。私は相変わらず無様に突っ立ったままの体勢ながらも、一つの真理を得たような気がして内心歓喜いたしました。先ほどから私の話を聞かれている方の中には「そんな大げさな……」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は長い間このヘビのことで頭を悩まされていたわけですからそれほど道理の通らない話ではないと思います。そして私はしばらくした後にその答えを見つけ出してしまうことになるのですが、そのことが私をより一層困惑させることになるのです。
私は考えました。まず考えたのは食料のことです。ヘビと言うからには、おそらく好物はカエルやネズミなどといった類のものであろうから、そのようなものを経口摂取すればヘビもずいぶんと満足をして私の腹の中で暴れまわることを止めてくれるのではないだろうか、と。私は今までの生涯にわたって一度もカエルやネズミなどを食べるという文化圏に属した経験はありませんから、そのようなゲテモノを食すのには若干の抵抗がありましたがヘビにおとなしくなってもらうためには仕方がありません。どこからそのようなものを入手すればいいのかについては見当もつきませんでしたが、ネズミやカエルならそこら辺を探せばいつかは見つかるだろうし、ネットなどを活用すれば活きの良いものがすぐさま手に入りそうです。何分食べなれていないものですので衛生面では多少の心配もありますが、しっかり加熱消毒を施せば食べられないということもないでしょう。そう考えていると私の心の中はより一層明るくなり、私は心も体も軽くなったような気がいたしました。であるならば今日それをやるよりも後日食材を取り揃えたほうが良いと考え、私は普段のように会社へ行くため階段に足をかけ始めました。ヘビはカエルを取るのには時間がかかりますし、ネットを使えばおそらく数日はかかってしまうでしょう。会社は行かないとその日のうちにすぐ大変なことになりますから、優先順位を考えると会社に行くことを今日は優先させたほうがいいような気がしたのです。しかし数歩階段に足をかけた際に私はふと疑問に思いました。確かにヘビやカエルを与えてやれば腹の中のヘビは一時的に満足するのかもしれないが、それは結局ヘビを肥えさせるだけで根本的な解決になっていないのではないか? その考えが頭をよぎった瞬間、私の目の前は再び真っ暗闇に包まれてしまい、軽くなったはずの体も再びその鈍重性を取り戻し私は一歩も動けなくなります。周囲の人が私のことを不審の目で見つめだし、私はなんだか恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまいました。
私は新たな解決策を考えなければなりません。私が次に考えたのは別の視点からのアプローチであり、それは私に毎夜夜這いを仕掛けてくる親ヘビと話し合い、私を襲うのを止めてもらうということでした。考えてみれば子供というのは両方の親がいなければ基本的には生まれてこないわけですから、片方の親、すなわち親ヘビ側が諦めてしまえば私はもう二度とこの腹の中のヘビに苦しまされることもなくなるのではないかと考えたのです。これは一つめのアイディアよりも優れているように感じられました。生命の弱点ともいえる点を果敢につき、遂に私は勝利を手にするのです。そしてこのアイディアを施行する場合、私が今現在このヘビを堕胎してはならない理由は何一つないように感じられました。この場合戦いは親ヘビが私を襲いに来る夜になるわけですから、早朝の今現在私が出来ることはほとんどありません。あるとしたら今すぐトイレに駆け込み、腹の中の一切をなくし夜の戦いに備えるだけです。足取りが再び軽くなった私は階段での屹立を止め、一歩一歩着実に上に向かって歩き出しました。そして何事もなかったかのように階段を上り終わり、他の人と同じように改札の中へ吸い込まれていきます。さあ、もう少しでトイレが見えてきました。はやる気持ちも抑え駆け込みます。幸いトイレの個室は空いており、隣の個室にも人は誰もいないようでした。私はこのことに心底安堵しました。堕胎におけるヘビの悲鳴というのはそれはそれは醜いものですから、なるべく人様に聞かれないようにしなければなりません。もし聞かれてしまった場合、私はヘビとは言え自らの子を己の苦しみを和らげるために捨てるような人間であると判断されてしまいかねません。それは出来れば避けたいところであります。腰をすえて心を落ち着かせます。もはや何回何十回何百回と繰り返している作業です。確かに堕胎に付きまとう罪悪感のようなものはありますがもはや慣れてしまいましたし、大切なのは親ヘビとの話し合いなのです。この今身ごもっているヘビはひとまず関係がない……ああ、やはり駄目です。私はまたしても辛い現実を避けるため新たなエクスキューズを考えだしてしまっていました。私はヘビの望むことはなんだろうといいながら、私が身ごもったヘビ自身の望みを叶えることからは逃げ出していたのです。なんたる悲劇なのでしょうか。私の中のヘビはもはや出てくる寸前であり、後は水に流すだけで一切の証拠を消し去ることが出来ましたが(日本というのは良く出来ている国です)、私は真に腹に身ごもったヘビという命と向き合わなくてはなりません。すなわち、彼の存在を認める必要があるのです。
それに気付いたとき、私の心は激しく揺さぶられました。彼の存在を認めるということは彼の存在を自分以外の誰かに知らせなくてはならないということを意味します。ご存知のように、誕生には他者の祝福が必要です。であるならば私の今までとっていた行動は腹の中のヘビを怒らせど、決して喜ばせはしないものだったのでしょう。今まで私はこのヘビの命を自分ひとりで絶ってきました。その時ですら、私はなるべく目を背けすぐさま水葬の儀を執り行っていたのですからもはや救いようがない愚か者だったのかもしれません。実際にはそうすればするほどヘビは意固地になって私の腹の中に巣食っていたのですから。私はとにかくトイレを後にすることにしました。プラットホームへの階段を下りる頃には「これでいいのだろうか……」という気持ちを持つ反面、このヘビを祝福してもらわなければならないという気持ちが強くなっていったことを覚えています。
それを実行するには相当な勇気が必要でした。もともと腹の中のヘビは私の中では忌み子的な存在でしたから、それを人様に見せるとはもってのほかのことだったのです。しかしそれしか道がないのであれば私はそれを施行しなければなりません。私が公衆の面前で産み落としたとしても恐らく彼を祝福してくれる人は一人もいないでしょう。産みの親である私ですら祝福の気持ちなど一切ないのですから自分でも妥当な判断だと思います。しかしもし腹の中のヘビが「誰かに認知をされたい」と願うのであれば、産みの親として私は彼をこの世に誕生させてあげたいと思います。きっと腹の中に溜まったものは一度産み落として誰かに認知されなければならないのです。自分ひとりで誰にも知られることなく処理をしてしまっているだけではヘビの恨みを買うだけで、狡猾なウロボロスは自らの尾を噛みしめ、いそいそと無限のループを作りだしてしまうでしょう。
私はホームに降り立ちました。電車は行ってしまったばかりでしたが、朝の通勤時間帯では待つ時間などたかがしれています。その数分の間を私はヘビに対する祈りに捧げることにしました。もはや不思議なほど私の腹の中に溜まっていた痛みは取れてしまい、今はただただ心地よい緊張だけが頭の中を駆け巡っています。思えば随分遠回りしてきましたが、今日でそれも終わります。腹の中のヘビは私のれっきとした子供であり、私の一部でした。それを認めないということは自分自身で私を否定するということであり、だからこそ私は現実世界の中で欠損した人間だったのかもしれません。いや、もう止めましょう。今更わかりきったような台詞を吐くことにもはや価値などはないのです。そうこうしているうちに電車が来ました。私は大勢の人とともに電車に乗り込みます。
途中で立ち止まったりトイレに寄ったりしたおかげで今日は数本遅い電車に乗ることになり、そのせいか人がいつもよりもたくさんいました。駅員がやっとの思いで人を詰め込み、電車がようやく前進します。がたんごとん、がたんごとん。電車は腹の中にたくさんの人を詰め込んで、吐き出して、また食べてを繰り返しています。その消化液でどろどろになった私たちはべとついた体をなびかせながら、毎日ひいひいと目的地へ向かっていくのです。私は電車の中でそのようなことを思い一人呆然と押しつぶされていました。自分が予想していたよりもはるかに私は落ち着いていて、そのまま乳飲み子のように寝てしまいそうになるくらいです。さあ、出産の時が来ました。私の中のヘビが泣き声を漏らします。まだ体は出てきていないというのに声だけが出てくるだなんて、よほど外の世界に出てきたかったに違いありません。その音に反応して辺りにいた人々が一斉に私の方をじろじろと凝視してきました。その中の何人かは、あからさまに私と距離をとろうともがいています。特にそのような行動を取る人は女性が多いように見受けられましたが、なるほど性別は違えども同じ出産という行動を宿命として生まれ落ちてきた方々には、私の産み落とす子供が忌み子であるという事は即座に見抜いてしまうのでしょう。辺りにいた男性は一瞬何事かとこちらを見ましたが、その後は何事もないように嘯いて各々思索に耽っていました。私はといえば車内に響き渡る我が子の声を聞き、抱いていた予感が確信に変わったのを確認するばかりです。そうしてようやく私は下半身の衣類を脱ぎ、腹に力を入れ、我が子の産声を遠くなる意識の中ずっと聞き続けていたのでした。
全てが終わった後、そこに横たわっていたのは紛れもなく私の体の中にいたあのヘビです。それは今までとは違い、グロテスクに欠損した形ではなく、完璧な形を保っていました。まるでその姿は「僕を生んでくれてありがとう」とでも言いたいかのようです。私はほとんど忘れかけていた幼い頃の記憶を思い出しました。電車という公的な場で我が忌み子をさらけ出してしまったことにより、私にはもしかしたら新たな不幸が待ち受けているのかもしれませんが、しかしながら私は自分のしたことに誇りを持ちながら今日という日の上に立ち尽くしていたのでした。

はろーぼんじょー
というわけで最近小説なんかをうっかり始めてしまった僕は地味に小説投稿サイトに小説を投下してみたりしたのだ!ぱんぱかぱんぱんぱーん。ということで使っているのが以下のサイト。
TOTAL CREATORS: http://sosaku.org/
wikiを見る限り他にも有力そうなのが何件かありそうなので作ったら手当たり次第乗っけていきたい所存。おかしいなあこの夏はTOEICとスペイン語の勉強に費やすはずだったのになあ。さすが人生だぜ。何が次に何を考えるかがいまいちわからない。
TOTAL CREATORS: http://sosaku.org/
wikiを見る限り他にも有力そうなのが何件かありそうなので作ったら手当たり次第乗っけていきたい所存。おかしいなあこの夏はTOEICとスペイン語の勉強に費やすはずだったのになあ。さすが人生だぜ。何が次に何を考えるかがいまいちわからない。
NUKI! NUKI! DEADHEAT! 後出し
=しかしながら繰り返されるデッドヒート=
その後どうなったのかを端的に申し上げると、一度彼女を抜くことが出来た俺はしばらく走ったのちに完全に気力を失い徐々にスピードを落としながらついに立ち止まることになった。俺は何やっているんだという気持ちが頭をもたげてきたからである。そりゃそうだ。女の子の足を見つめ続けている自分が嫌だからって急激に走りだす奴は常識的に考えて軽く異常である。まさか自分の中の欲求がここまで強いものだとはまったく掌握していなかったものの、しかしながら一度彼女を抜くことが出来たということで俺は一定の満足感を得ていた。つい先ほどまではほとんど無理と思われていた事柄を突破したのである。俺はその意味で欲望に打ち勝った男と賞賛されてもいいくらいだ。俺はふらふらの体をなんとか一定に保ちつつ、そろそろ近くなってきた会社のことを考え始め自分の気持ちを落ち着かせようと奮起するに至った。その頃には俺の足にかなりの疲労が溜まっていたが、結構な距離を走ったものだからよもや彼女に抜かされることはないと高をくくったのである。
しかし現実というのは残酷にして意外さに満ち溢れている。俺がこれで大丈夫だろうと思った瞬間、現実は待ってましたと言わんばかりに予想外の演出を施してくれる。一体俺を困惑させて何が楽しいのかはわからないが、実際そういうような力がこの星にはあるということを俺は認めなくてはならない事態に突如陥ったのだ。というのも先ほどの彼女が俺の後を追うように急激に駆け出してきたのである。
最初のうちは一体何が起きたのかもわからなかった。なんとなく誰かが走ってくるような気がしただけで別に問題はないと思ったし、俺は普通に歩き続けていたのである。しかしながらここで俺の天啓は冴えに冴えた。もしかしたら、俺を追ってきたのは先ほどの彼女なのかもしれない。まるで気狂いのような発想だが、人間ある程度の境地に達すると異常に直感が敏感になるものである。俺は一応後ろを振り返ってみた。そしてまさに、俺が予想したことがそのまま俺の後ろで起こっていることを確認した。
すなわち彼女は追ってきていた。彼女のことは後ろ姿しか見たことはなかったが、その端整な顔立ち、髪、そして何より足から先ほどの彼女であるということは即座に見破ることが出来た。走っているので正確にその姿を見ることは叶わなかったが、やはり良いものは良いというあたり前の事実を俺は目の当たりにする。ちなみに俺は「追ってきた」と表現したが、実際別に彼女は俺を追ってきていたわけではないだろう。何かよくわからないが学校か何かに目的があり、故に彼女はその(美しいとしか形容する言葉がない)足を迅速に動かしているわけで俺に飛び込むために走っているわけではない。しかし何故彼女がこのタイミングで走り出すのか。先ほども述べたが別に今は登校時間ギリギリというわけでもないし、現に彼女以外の生徒はのほほんと友達とくっちゃべったり音楽を聴きながら自転車に轢かれそうになりながら思い思いにのんびりと歩いている。何故ここで走るという行動を彼女はとったのだろう。
一番現実的に考えられるのは、彼女が俺の走りにつられたということである。これは心理学的に考えても大いに納得の出来る理由で、誰かが急いでいると自分も急がなければならないのではないかという気持ちにさせられるというあれだ。大学生時代に俺は心理学を勉強していたので何かそれに関連することを習ったような気がするが詳しくは覚えていないし、それについていたはずの名称も今は思い出せない。しかし重要なのは今この場で繰り広げられている現実そのものであり、彼女がものすごい勢いで俺に迫ってきているということである。しかも壊滅的にピンチなことに、俺の足は今ふらふらのふらお君状態で足に鞭打って急速に運動させるということにとても抵抗がある。しかしだからといってこのままではまた彼女に抜かれてしまうかもしれないし…
ここまで悩みぬいた俺だったが、しかしその時俺の脳みその中に存在すると思われる神は大変いいことを俺に気付かさせてくれた。彼女は今ものすごいスピードで俺のことを追ってきているのだから、そのまま放置しておけば彼女はすぐさま俺の見えないところまで、すなわち学校まで走り去っていってくれるのではないかという期待がこのときに生まれる。メイド・イン・マイ・ブレイン。俺の脳みその中でおぎゃあおぎゃあと産声をあげたその考えは俺になるほどという感銘を授け、であるならば彼女が俺のことを抜くくらい別に大したことはないのだと俺は思うことにした。抜かれるが故にまた彼女の足を見ざるをえなくなるかもしれないが、所詮彼女の走っている姿である。歩いている姿ならばいざしれず、走っていてはすぐさま映像はぶれてしまってその美しさを捕らえることは難しくなるだろう。問題は全く何もないように見えた。
そしてその時が来た。彼女の足音がどんどんと近づいてきて、ついに俺の後ろ数mというところまで来たのである。ここでまた俺は彼女の全体像を確認したい欲に駆られ、俺の頭の中ではほんの少しばかり作戦会議が行われた。歩いている際に後ろを振り向くというのは若干イレギュラーな行為かもしれないが、後ろから走ってきている人間がいたら「なんだ?」と思い振り向くのが人間の常であろう。脳内会議は初めから後ろの振り向き隊の意見が優勢を占め、結局現実時間にして1秒をかけることもなく俺は後ろを振り向いたのである。
ゆっさゆっさと制服の中にパッケージングされた彼女の体がゆれ、彼女の美しい足が緊張と緩和を繰り返すのを数瞬確認した。確かに美しいが、やはり走っているときの彼女からは歩いているときほどの魅力を感じない。より正鵠を期すと、走っているが故に妄想を広げる時間がないといったほうがいいのかもしれないが。やがて彼女の体は俺の体に遂に並び、やがては俺を抜き去っていったのである。彼女の後ろ姿はやはり美しく、俺に止めることの出来ない劣情がほとばしったが俺を襲ったが、後数秒もしないうちに彼女の背中はどんどんと小さくなっていき、やがては星のように小さくなっていくであろう。俺は彼女の走る足を呆然とみながらそのように思っていたのである。しかし次の瞬間、呆けていた俺の足はまた再び急速に加速していかざるを得なくなった。彼女が振り返り、はっきりと俺の方を向いたのだ。少なくとも俺にはそう見えたまるで抜かしてやったのよと言わんばかりに。
俺の理性のフューズがその時にはじけとんでしまったのも無理はないことなのだろう。俺はそれを見た瞬間に再び駆け出し、一瞬にして彼女を抜くことに成功した。しかし俺はどういうわけか一回彼女を抜くたびにふらふらと達成感からか気力を失ってしまい、その隙を見計らって彼女が再び俺を抜いた。もはや何故このような事態に陥ったのかはわからないが、おそらく神にすらわかるまい。俺はただもう何かに操られたかのように彼女を抜かし、そこで力を抜いた俺はまた彼女に抜かされるという痴態を演じたのである。
どうして彼女があれほどむきになって俺のことを抜かそうとしていたのかは今となってはわからない。今の俺がわからないのだから、抜くことだけに必死になっていた俺にはなおさらわからなかった。走っている彼女の顔でも確認すればその一端を知ることくらい出来たのかもしれないが、しかしながら俺がデッドヒートを演じていたときに見ていたものはせいぜい足くらいで、あとは彼女を抜くことくらいしか考えてはいなかった。
今考えられる仮説としては、もともと彼女は速く歩く自分に幾らばかしのプライドを持っており、それを抜かされたが故にむきになった俺のことを追い抜こうとしていたのではないかというものだ。一般的にそのようなことは起こりそうにもないし、さすがにそこまで考える人間はいないのかもしれないけども、事実俺は彼女を抜く前に一度抜くのをためらってしまっていたわけで、もしかしたらあれが彼女に対する宣戦布告のように捉えられたのかもしれない。
とにかく、かくして俺は彼女とのデッドヒートにのめりこむことになった。何度抜き、何度抜かれたのかは既によく覚えていない。体はぐったりふらふらになって、頭の中身がぐらぐらになった状態で学校と会社の分岐点にたどりついたことだけをなんとか記憶しているだけだ。結局俺が勝ったのか、彼女が勝ったのかははっきりしていない。もはや一歩も歩けなくなった状態で道路にへたりこんでいた俺はその時はっきりと静止された彼女の全体像を見ることが出来た。しかしながらその時既に俺の中の欲望はすっかりと放出されつくしてしまい、目の前には偶像が剥がれた一介の女子高生がいただけという結末がぽつんとあっただけであった。
引用サイト
〜結婚の格言〜 〔愛の格言シリーズ第7弾〕

その後どうなったのかを端的に申し上げると、一度彼女を抜くことが出来た俺はしばらく走ったのちに完全に気力を失い徐々にスピードを落としながらついに立ち止まることになった。俺は何やっているんだという気持ちが頭をもたげてきたからである。そりゃそうだ。女の子の足を見つめ続けている自分が嫌だからって急激に走りだす奴は常識的に考えて軽く異常である。まさか自分の中の欲求がここまで強いものだとはまったく掌握していなかったものの、しかしながら一度彼女を抜くことが出来たということで俺は一定の満足感を得ていた。つい先ほどまではほとんど無理と思われていた事柄を突破したのである。俺はその意味で欲望に打ち勝った男と賞賛されてもいいくらいだ。俺はふらふらの体をなんとか一定に保ちつつ、そろそろ近くなってきた会社のことを考え始め自分の気持ちを落ち着かせようと奮起するに至った。その頃には俺の足にかなりの疲労が溜まっていたが、結構な距離を走ったものだからよもや彼女に抜かされることはないと高をくくったのである。
しかし現実というのは残酷にして意外さに満ち溢れている。俺がこれで大丈夫だろうと思った瞬間、現実は待ってましたと言わんばかりに予想外の演出を施してくれる。一体俺を困惑させて何が楽しいのかはわからないが、実際そういうような力がこの星にはあるということを俺は認めなくてはならない事態に突如陥ったのだ。というのも先ほどの彼女が俺の後を追うように急激に駆け出してきたのである。
最初のうちは一体何が起きたのかもわからなかった。なんとなく誰かが走ってくるような気がしただけで別に問題はないと思ったし、俺は普通に歩き続けていたのである。しかしながらここで俺の天啓は冴えに冴えた。もしかしたら、俺を追ってきたのは先ほどの彼女なのかもしれない。まるで気狂いのような発想だが、人間ある程度の境地に達すると異常に直感が敏感になるものである。俺は一応後ろを振り返ってみた。そしてまさに、俺が予想したことがそのまま俺の後ろで起こっていることを確認した。
すなわち彼女は追ってきていた。彼女のことは後ろ姿しか見たことはなかったが、その端整な顔立ち、髪、そして何より足から先ほどの彼女であるということは即座に見破ることが出来た。走っているので正確にその姿を見ることは叶わなかったが、やはり良いものは良いというあたり前の事実を俺は目の当たりにする。ちなみに俺は「追ってきた」と表現したが、実際別に彼女は俺を追ってきていたわけではないだろう。何かよくわからないが学校か何かに目的があり、故に彼女はその(美しいとしか形容する言葉がない)足を迅速に動かしているわけで俺に飛び込むために走っているわけではない。しかし何故彼女がこのタイミングで走り出すのか。先ほども述べたが別に今は登校時間ギリギリというわけでもないし、現に彼女以外の生徒はのほほんと友達とくっちゃべったり音楽を聴きながら自転車に轢かれそうになりながら思い思いにのんびりと歩いている。何故ここで走るという行動を彼女はとったのだろう。
一番現実的に考えられるのは、彼女が俺の走りにつられたということである。これは心理学的に考えても大いに納得の出来る理由で、誰かが急いでいると自分も急がなければならないのではないかという気持ちにさせられるというあれだ。大学生時代に俺は心理学を勉強していたので何かそれに関連することを習ったような気がするが詳しくは覚えていないし、それについていたはずの名称も今は思い出せない。しかし重要なのは今この場で繰り広げられている現実そのものであり、彼女がものすごい勢いで俺に迫ってきているということである。しかも壊滅的にピンチなことに、俺の足は今ふらふらのふらお君状態で足に鞭打って急速に運動させるということにとても抵抗がある。しかしだからといってこのままではまた彼女に抜かれてしまうかもしれないし…
ここまで悩みぬいた俺だったが、しかしその時俺の脳みその中に存在すると思われる神は大変いいことを俺に気付かさせてくれた。彼女は今ものすごいスピードで俺のことを追ってきているのだから、そのまま放置しておけば彼女はすぐさま俺の見えないところまで、すなわち学校まで走り去っていってくれるのではないかという期待がこのときに生まれる。メイド・イン・マイ・ブレイン。俺の脳みその中でおぎゃあおぎゃあと産声をあげたその考えは俺になるほどという感銘を授け、であるならば彼女が俺のことを抜くくらい別に大したことはないのだと俺は思うことにした。抜かれるが故にまた彼女の足を見ざるをえなくなるかもしれないが、所詮彼女の走っている姿である。歩いている姿ならばいざしれず、走っていてはすぐさま映像はぶれてしまってその美しさを捕らえることは難しくなるだろう。問題は全く何もないように見えた。
そしてその時が来た。彼女の足音がどんどんと近づいてきて、ついに俺の後ろ数mというところまで来たのである。ここでまた俺は彼女の全体像を確認したい欲に駆られ、俺の頭の中ではほんの少しばかり作戦会議が行われた。歩いている際に後ろを振り向くというのは若干イレギュラーな行為かもしれないが、後ろから走ってきている人間がいたら「なんだ?」と思い振り向くのが人間の常であろう。脳内会議は初めから後ろの振り向き隊の意見が優勢を占め、結局現実時間にして1秒をかけることもなく俺は後ろを振り向いたのである。
ゆっさゆっさと制服の中にパッケージングされた彼女の体がゆれ、彼女の美しい足が緊張と緩和を繰り返すのを数瞬確認した。確かに美しいが、やはり走っているときの彼女からは歩いているときほどの魅力を感じない。より正鵠を期すと、走っているが故に妄想を広げる時間がないといったほうがいいのかもしれないが。やがて彼女の体は俺の体に遂に並び、やがては俺を抜き去っていったのである。彼女の後ろ姿はやはり美しく、俺に止めることの出来ない劣情がほとばしったが俺を襲ったが、後数秒もしないうちに彼女の背中はどんどんと小さくなっていき、やがては星のように小さくなっていくであろう。俺は彼女の走る足を呆然とみながらそのように思っていたのである。しかし次の瞬間、呆けていた俺の足はまた再び急速に加速していかざるを得なくなった。彼女が振り返り、はっきりと俺の方を向いたのだ。少なくとも俺にはそう見えたまるで抜かしてやったのよと言わんばかりに。
俺の理性のフューズがその時にはじけとんでしまったのも無理はないことなのだろう。俺はそれを見た瞬間に再び駆け出し、一瞬にして彼女を抜くことに成功した。しかし俺はどういうわけか一回彼女を抜くたびにふらふらと達成感からか気力を失ってしまい、その隙を見計らって彼女が再び俺を抜いた。もはや何故このような事態に陥ったのかはわからないが、おそらく神にすらわかるまい。俺はただもう何かに操られたかのように彼女を抜かし、そこで力を抜いた俺はまた彼女に抜かされるという痴態を演じたのである。
どうして彼女があれほどむきになって俺のことを抜かそうとしていたのかは今となってはわからない。今の俺がわからないのだから、抜くことだけに必死になっていた俺にはなおさらわからなかった。走っている彼女の顔でも確認すればその一端を知ることくらい出来たのかもしれないが、しかしながら俺がデッドヒートを演じていたときに見ていたものはせいぜい足くらいで、あとは彼女を抜くことくらいしか考えてはいなかった。
今考えられる仮説としては、もともと彼女は速く歩く自分に幾らばかしのプライドを持っており、それを抜かされたが故にむきになった俺のことを追い抜こうとしていたのではないかというものだ。一般的にそのようなことは起こりそうにもないし、さすがにそこまで考える人間はいないのかもしれないけども、事実俺は彼女を抜く前に一度抜くのをためらってしまっていたわけで、もしかしたらあれが彼女に対する宣戦布告のように捉えられたのかもしれない。
とにかく、かくして俺は彼女とのデッドヒートにのめりこむことになった。何度抜き、何度抜かれたのかは既によく覚えていない。体はぐったりふらふらになって、頭の中身がぐらぐらになった状態で学校と会社の分岐点にたどりついたことだけをなんとか記憶しているだけだ。結局俺が勝ったのか、彼女が勝ったのかははっきりしていない。もはや一歩も歩けなくなった状態で道路にへたりこんでいた俺はその時はっきりと静止された彼女の全体像を見ることが出来た。しかしながらその時既に俺の中の欲望はすっかりと放出されつくしてしまい、目の前には偶像が剥がれた一介の女子高生がいただけという結末がぽつんとあっただけであった。
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〜結婚の格言〜 〔愛の格言シリーズ第7弾〕

NUKI! NUKI! DEADHEAT! 中出し
=ある日常における全力疾走=
しかしその日は違った。いつものように満員電車の中から飛び出るように出た俺は、人の壁に阻まれ直行で階段を上ることは叶わずも、なかなかの順位で改札口まで出ることに成功したのであるが、そこに一人の女子高生が立っていたのである。
集団の女子高生を抜くことは造作もないことではあるが、一人でいる女子高生を抜くことは場合によっては難しいことがある。というのも、普通女の歩くスピードは遅いと相場が決まっているはずなのに、どういうわけか歩くのが男並、時には男以上に速い女が存在するからだ。彼女らもおそらく二人以上であればそれほどのスピードは出さないのであろうが、誰にも邪魔されずに歩ける一人であるときは別だ。彼女らは時として自然に抜くことが出来ないほどのスピードを発揮してしまったりする。
彼女もそのような健脚の持ち主であった。ホームを出て残るは会社へ向かう一本道となったところで俺は彼女の足の速さ、そして足の美しさに気づく。顔のほうは正直よく見えなかったが、野暮ったいほどでもなく、かといってあからさまに尻の軽そうな風貌でもない。髪はそれほど長くなく黒髪で、スカートの長さは膝上15cmくらいで少し足を出しているが、それほど下品なようには見えない。とはいっても日本においては見た目が多少真面目に見えても平気で体を売っている女子高生がいっぱいいるらしいとTVでもよく報じられているし、実際の彼女の性生活について予想することは難しい。一つその中で言えるのは彼女の後ろ姿は俺にとって物凄い好みだということくらいだろう。
こういう足の速い相手を抜く際に、俺が普通取っている手段は会社に急いで向かっているという振りをすることである。しかし人がわざわざ学校が始まるかなり前に合わせて会社に通っているというのに、何故この女はそこまで急いでいるのだろうか。いや確かに学校においては登校時間という制約を受けずとも、それより前に行かなければならない用事というのは山ほどあるだろう。もし彼女が何かの部活に所属していたのだとしたら朝に練習があっても全然不自然ではないし、もしかしたら行事の準備のようなことがあるのかもしれない。それにしても彼女の速度は以上である。徒歩でそれほどのスピードを出すのであれば少しくらい走ったっていいように思うが、彼女はあくまでも徒歩で足を進めようとする。
まあそういう俺自身も走ることはあまり好まない。というのも、俺の通勤路はかなりの割合を一本道で占めており、途中まで走ったところでふがいなく体力が切れて止まってしまう姿を相手に見せたくはないからだ。かといって会社までずっと走り続けるというのは忍びない。そろそろ涼しくはなってきたとはいえ、まだまだ灼熱が横たわっているわけでシャツを汗ビチャさせるのは全くもってよろしくない事態だ。と俺が無駄な思考を巡らしている間にも俺の目は半ば本能的に彼女の足に注がれる。これはかなりの上玉というか、ここ最近で見た足の中ではナンバーワンと言っても全然良いかもしれない。どうして今まで彼女を目撃しなかったのだろうか?(普段は自転車にでも乗っていたのだろう)ほどよくついた肉に、スラリと伸びる足。細すぎず、足が長すぎず、まるで俺のために作られた、つまるところオーダーメイドされた足のように思えるぐらいだ。あの足を俺のものにしたいという欲求は当然のように付きまとうけれども、所詮俺はしがない社会人であり、それほど性的魅力にあふれている男とは言えない。俺にはただただちらちらと視線に入れては外すということしか出来ないわけである。尤もおそらく俺が性的魅力にあふれていた場合、自分の欲求の開放なんて出来て当然だったわけで、そうだった場合俺がこんなにも足にこだわるようなこともなかっただろう。様々な執着心にいえるように、俺のこの足に対する思いも俺自身のコンプレックスから来ていると以前推測したことを思い出す。俺はそれほど足が長くなく、また美しく細くもない。
また彼女の足に視線が行く。誰も俺の視線なんぞ見てはいないとは思いつつも、こんなにもちらちら足のほうに目が行ってしまうとなんとなく罪悪感を感じてしまいそこが俺をうんざりさせる。俺は無意識的に彼女と出来るだけ距離をとるように彼女が歩いている直線から少しずれた位置に行くけれども、同時に何故俺の行動が彼女にコントロールされなければならないのかとちょっとした憤りを感じてみたりもする。自分自身に設定した戒めと自分自身の欲が相反するということは辛いことだ。故に俺は一刻も早く彼女を抜き去ることをしなければならないわけだが、なかなか彼女との距離が埋まる傾向にない。さらに俺の彼女の足へ視線を移す行動は秒単位ごとにその長さを増していき、このままだと彼女の足をずっと凝視するようなことにもなりかねないわけで、それは避けなければならない。凝視するような事態になったら俺はきっとどんどんと欲望を増していって、最終的には彼女の真後ろ、つまり特等席から彼女の足を見つめることになるだろう。
出来る限り自然なスピードでは彼女のことを抜けないとそろそろ悟ってきた俺は、自分でもうんざりするような小芝居を心の中で演じるようにした。俺は会社で朝一でやらなければならないことがあり、それが遅れたら大変なことになりかねない。腕時計は持っていなかったので、代わりに携帯電話で時刻をちらちら見るようにしながらやや不自然な程度のすばやさで彼女のことを抜くことにした。やや歩き方が競歩のそれに似ており、それを通勤時間中に披露する自分にほんのちょっとの滑稽感を感じたけれども背に腹は代えられない。これ以上一介の女子高生の足を見つめることによって俺の人間的な品位を落としたくはなかったし、欲望に執着するようになることに対しての恐怖もある。このままのスピードで歩いていけばいずれ彼女を抜くであろう。段々決意も固まってきて、彼女の足に視線を落とさないようになってくる。大丈夫。俺はいつものように抜ける。あと数メートル。
しかしながら現実はそれほど甘くはない。欲望はキャンディーであり、一度その甘さを知ってしまったものが口からそれを離すのは困難を極める。俺は突如自分でも信じられないくらいに、無意識的に無作為に、自分の歩行スピードを緩めてしまったのだ。自分でもまったく何故だかはわからないが、おそらく俺の本能が最近まれに見る美しい足の持ち主をもっと観賞していたいという決議案を脳の中で提出しそれが受理されてしまったのだろう。いったい俺の頭の中の野党は何をしているのか。現実のそれとなんら変わりがないではないか-----俺は動揺のあまり、普段はろくに考えもしない政治家のことを引き合いに出し、自分を責める代わりに彼らのことを責めだした。これは非常にまずいことだ。一度抜くことをためらってしまったら、今後この先も同じようなことをしかねない。たとえそれが今俺が抜こうとしている女よりレベルの数段劣るやつ相手だとしてもだ。一度甘さを知ってしまった人間はなかなかその活動を止めはしない。
さて、しかし俺には抜くことも出来なかったが、かといって速度を緩めることは出来なかった。今ここで俺が立ち止まるというのは他人、しかも女子高生風情に俺の行動をとめられるという侮辱で繋がるということにもなりえるし、既に俺は彼女の足のトリコになってしまってもう止まっている場合では全然なかったのである。俺はまた彼女との間隔をやや広げながら、今度はさっきよりあからさまに彼女の足を凝視している自分自身を発見した。もはや女の足は俺にとっては芸術観賞の域に近く、見ているだけで恍惚とした気分になってくる。これほど美しい足を持っているのだから相当もてるのだろうな-----そう考えた瞬間に、今まで抑えられていた何かが一斉に吹き出したような感覚がした。おそらく処女でこれだけの妖艶さは発揮できないだろうから、彼女もまた開通済みなのだろう。自分にとっての芸術的存在がもはや誰かに手をつけられているというのは非常に侮辱的な感覚を受けるが、しかしもはやそれを超えたところに彼女の足が存在しているのだ。その段階においては他の男の手にかかっていることなどもはや単なるスパイスでしかないような気すらしてくる。
そうこう俺が思考を重ねて足を凝視しているうち、それなりの時間が過ぎてしまった。学校も近くなってきたのだからいい加減誰かに会えよと彼女に心の中で毒づく。俺はこの思考が自分の行動を正当化させるためのものだとは知っているがもはや止まることは出来ない。もし彼女が誰かと会えばそれは必然的に挨拶をしなければならないということになるわけだからスピードは落ちるし、彼女が喋るという日常的なことを行ってくれれば俺が彼女に抱いている幻想もその画質を落とすはずだ。偶像は何も喋らないからこそ偶像でいることが出来るし、それを壊すためには何かものを喋らせればいい。しかし彼女は特に誰と会う様子もなくたんたんと素晴らしいスピードで足を進めていく。
もう頭がおかしくなってしまいそうだ。俺の目はもはや一秒たりとも彼女の足から視線を外すことをしなくなってしまったし、今は瞬きすらするのが惜しい。最初考えていた他人の視線が気になるうんぬんというのももはやどうでもよくなってしまったことも末期的な心的状況をうかがわせる。ようするに俺の頭の中にはもはや彼女しか入っていない。より正確にいえば彼女の足ということになるが。
もはや体面など気にすることもなく、自分でもびっくりするくらい突然に俺は再度走り出した。今度は途中で止まることが出来なくなるくらいのスピードだ。これは意図してそうしたというより暴発的に動いてしまったというほうが正しい。何人かの生徒や会社員が突然走り出した俺の姿にびびってそれを視界に捕らえようとしたのを俺は感じたが、その時の俺にそんなことを気にしている余裕は1mmたりともなかった。その結果、自分でもびっくりするくらい簡単に、彼女を抜くことが出来たのである。

しかしその日は違った。いつものように満員電車の中から飛び出るように出た俺は、人の壁に阻まれ直行で階段を上ることは叶わずも、なかなかの順位で改札口まで出ることに成功したのであるが、そこに一人の女子高生が立っていたのである。
集団の女子高生を抜くことは造作もないことではあるが、一人でいる女子高生を抜くことは場合によっては難しいことがある。というのも、普通女の歩くスピードは遅いと相場が決まっているはずなのに、どういうわけか歩くのが男並、時には男以上に速い女が存在するからだ。彼女らもおそらく二人以上であればそれほどのスピードは出さないのであろうが、誰にも邪魔されずに歩ける一人であるときは別だ。彼女らは時として自然に抜くことが出来ないほどのスピードを発揮してしまったりする。
彼女もそのような健脚の持ち主であった。ホームを出て残るは会社へ向かう一本道となったところで俺は彼女の足の速さ、そして足の美しさに気づく。顔のほうは正直よく見えなかったが、野暮ったいほどでもなく、かといってあからさまに尻の軽そうな風貌でもない。髪はそれほど長くなく黒髪で、スカートの長さは膝上15cmくらいで少し足を出しているが、それほど下品なようには見えない。とはいっても日本においては見た目が多少真面目に見えても平気で体を売っている女子高生がいっぱいいるらしいとTVでもよく報じられているし、実際の彼女の性生活について予想することは難しい。一つその中で言えるのは彼女の後ろ姿は俺にとって物凄い好みだということくらいだろう。
こういう足の速い相手を抜く際に、俺が普通取っている手段は会社に急いで向かっているという振りをすることである。しかし人がわざわざ学校が始まるかなり前に合わせて会社に通っているというのに、何故この女はそこまで急いでいるのだろうか。いや確かに学校においては登校時間という制約を受けずとも、それより前に行かなければならない用事というのは山ほどあるだろう。もし彼女が何かの部活に所属していたのだとしたら朝に練習があっても全然不自然ではないし、もしかしたら行事の準備のようなことがあるのかもしれない。それにしても彼女の速度は以上である。徒歩でそれほどのスピードを出すのであれば少しくらい走ったっていいように思うが、彼女はあくまでも徒歩で足を進めようとする。
まあそういう俺自身も走ることはあまり好まない。というのも、俺の通勤路はかなりの割合を一本道で占めており、途中まで走ったところでふがいなく体力が切れて止まってしまう姿を相手に見せたくはないからだ。かといって会社までずっと走り続けるというのは忍びない。そろそろ涼しくはなってきたとはいえ、まだまだ灼熱が横たわっているわけでシャツを汗ビチャさせるのは全くもってよろしくない事態だ。と俺が無駄な思考を巡らしている間にも俺の目は半ば本能的に彼女の足に注がれる。これはかなりの上玉というか、ここ最近で見た足の中ではナンバーワンと言っても全然良いかもしれない。どうして今まで彼女を目撃しなかったのだろうか?(普段は自転車にでも乗っていたのだろう)ほどよくついた肉に、スラリと伸びる足。細すぎず、足が長すぎず、まるで俺のために作られた、つまるところオーダーメイドされた足のように思えるぐらいだ。あの足を俺のものにしたいという欲求は当然のように付きまとうけれども、所詮俺はしがない社会人であり、それほど性的魅力にあふれている男とは言えない。俺にはただただちらちらと視線に入れては外すということしか出来ないわけである。尤もおそらく俺が性的魅力にあふれていた場合、自分の欲求の開放なんて出来て当然だったわけで、そうだった場合俺がこんなにも足にこだわるようなこともなかっただろう。様々な執着心にいえるように、俺のこの足に対する思いも俺自身のコンプレックスから来ていると以前推測したことを思い出す。俺はそれほど足が長くなく、また美しく細くもない。
また彼女の足に視線が行く。誰も俺の視線なんぞ見てはいないとは思いつつも、こんなにもちらちら足のほうに目が行ってしまうとなんとなく罪悪感を感じてしまいそこが俺をうんざりさせる。俺は無意識的に彼女と出来るだけ距離をとるように彼女が歩いている直線から少しずれた位置に行くけれども、同時に何故俺の行動が彼女にコントロールされなければならないのかとちょっとした憤りを感じてみたりもする。自分自身に設定した戒めと自分自身の欲が相反するということは辛いことだ。故に俺は一刻も早く彼女を抜き去ることをしなければならないわけだが、なかなか彼女との距離が埋まる傾向にない。さらに俺の彼女の足へ視線を移す行動は秒単位ごとにその長さを増していき、このままだと彼女の足をずっと凝視するようなことにもなりかねないわけで、それは避けなければならない。凝視するような事態になったら俺はきっとどんどんと欲望を増していって、最終的には彼女の真後ろ、つまり特等席から彼女の足を見つめることになるだろう。
出来る限り自然なスピードでは彼女のことを抜けないとそろそろ悟ってきた俺は、自分でもうんざりするような小芝居を心の中で演じるようにした。俺は会社で朝一でやらなければならないことがあり、それが遅れたら大変なことになりかねない。腕時計は持っていなかったので、代わりに携帯電話で時刻をちらちら見るようにしながらやや不自然な程度のすばやさで彼女のことを抜くことにした。やや歩き方が競歩のそれに似ており、それを通勤時間中に披露する自分にほんのちょっとの滑稽感を感じたけれども背に腹は代えられない。これ以上一介の女子高生の足を見つめることによって俺の人間的な品位を落としたくはなかったし、欲望に執着するようになることに対しての恐怖もある。このままのスピードで歩いていけばいずれ彼女を抜くであろう。段々決意も固まってきて、彼女の足に視線を落とさないようになってくる。大丈夫。俺はいつものように抜ける。あと数メートル。
しかしながら現実はそれほど甘くはない。欲望はキャンディーであり、一度その甘さを知ってしまったものが口からそれを離すのは困難を極める。俺は突如自分でも信じられないくらいに、無意識的に無作為に、自分の歩行スピードを緩めてしまったのだ。自分でもまったく何故だかはわからないが、おそらく俺の本能が最近まれに見る美しい足の持ち主をもっと観賞していたいという決議案を脳の中で提出しそれが受理されてしまったのだろう。いったい俺の頭の中の野党は何をしているのか。現実のそれとなんら変わりがないではないか-----俺は動揺のあまり、普段はろくに考えもしない政治家のことを引き合いに出し、自分を責める代わりに彼らのことを責めだした。これは非常にまずいことだ。一度抜くことをためらってしまったら、今後この先も同じようなことをしかねない。たとえそれが今俺が抜こうとしている女よりレベルの数段劣るやつ相手だとしてもだ。一度甘さを知ってしまった人間はなかなかその活動を止めはしない。
さて、しかし俺には抜くことも出来なかったが、かといって速度を緩めることは出来なかった。今ここで俺が立ち止まるというのは他人、しかも女子高生風情に俺の行動をとめられるという侮辱で繋がるということにもなりえるし、既に俺は彼女の足のトリコになってしまってもう止まっている場合では全然なかったのである。俺はまた彼女との間隔をやや広げながら、今度はさっきよりあからさまに彼女の足を凝視している自分自身を発見した。もはや女の足は俺にとっては芸術観賞の域に近く、見ているだけで恍惚とした気分になってくる。これほど美しい足を持っているのだから相当もてるのだろうな-----そう考えた瞬間に、今まで抑えられていた何かが一斉に吹き出したような感覚がした。おそらく処女でこれだけの妖艶さは発揮できないだろうから、彼女もまた開通済みなのだろう。自分にとっての芸術的存在がもはや誰かに手をつけられているというのは非常に侮辱的な感覚を受けるが、しかしもはやそれを超えたところに彼女の足が存在しているのだ。その段階においては他の男の手にかかっていることなどもはや単なるスパイスでしかないような気すらしてくる。
そうこう俺が思考を重ねて足を凝視しているうち、それなりの時間が過ぎてしまった。学校も近くなってきたのだからいい加減誰かに会えよと彼女に心の中で毒づく。俺はこの思考が自分の行動を正当化させるためのものだとは知っているがもはや止まることは出来ない。もし彼女が誰かと会えばそれは必然的に挨拶をしなければならないということになるわけだからスピードは落ちるし、彼女が喋るという日常的なことを行ってくれれば俺が彼女に抱いている幻想もその画質を落とすはずだ。偶像は何も喋らないからこそ偶像でいることが出来るし、それを壊すためには何かものを喋らせればいい。しかし彼女は特に誰と会う様子もなくたんたんと素晴らしいスピードで足を進めていく。
もう頭がおかしくなってしまいそうだ。俺の目はもはや一秒たりとも彼女の足から視線を外すことをしなくなってしまったし、今は瞬きすらするのが惜しい。最初考えていた他人の視線が気になるうんぬんというのももはやどうでもよくなってしまったことも末期的な心的状況をうかがわせる。ようするに俺の頭の中にはもはや彼女しか入っていない。より正確にいえば彼女の足ということになるが。
もはや体面など気にすることもなく、自分でもびっくりするくらい突然に俺は再度走り出した。今度は途中で止まることが出来なくなるくらいのスピードだ。これは意図してそうしたというより暴発的に動いてしまったというほうが正しい。何人かの生徒や会社員が突然走り出した俺の姿にびびってそれを視界に捕らえようとしたのを俺は感じたが、その時の俺にそんなことを気にしている余裕は1mmたりともなかった。その結果、自分でもびっくりするくらい簡単に、彼女を抜くことが出来たのである。



